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干し柿と青空市場

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今年も干し柿が食べごろを迎えました。
12月の初めに干して、年末年始においしく頂けるようになります。

実家でいつから作り始めたのでしょうー
母がメインで父が手伝い、ときに祖母や私たちも皮をむいて、リカーにつけてひもで結んでつるしていくのです。実家、祖母の部屋、我が家のベランダ、あらゆるところに柿がつるされました。

中が透き通った柔らかい干し柿が出来上がると、そのほとんどは喜んでくださる方への贈り物になりました。

母が亡くなってからは父が干すようになりました。一人で150個ほどを皮をむいて漬けて干す、大変な作業です。我が家にも来てくれて干してくれます。「手伝うよ~」と言いながらバタバタしてる私はほとんどできません。

父はあまり自分では食べず、ご近所や知り合いに配り歩いています。皆さんが喜んでくださり、楽しみにしてくださっていることがうれしいのだと思います。母がそうしていたように。

この干し柿は大和柿という柿を徳島から届けていただいて作っています。

今から30年以上前、近所で青空市場が出ていました。週二回、徳島からご兄弟で営んでおられる八百屋さんがトラック数台でやってきて、大きなテントを張り、たくさんの野菜や食品を並べてくれていました。新鮮な野菜が安くでたくさん買えるので母はいつも野菜はその市で求めていました。私もよく荷物持ちに駆り出され、そのうち自分でも買い物に行くようになりました。

レジはもちろん、値札すらついていないのですが、おじさん達はスラスラ暗算で計算して、段ボールの切れ端にマジックで金額を書いてくれ、お金を渡すとポケットからじゃらじゃらお釣りを出してくれます。そのころはいつもその手際のよさと活気にほれぼれしていました。

母は生まれが徳島だったことから、おじさんたちの徳島なまりが懐かしかったのだと思います。仲良くしていました。

時が経ち近くには大型スーパーができ、流通が変わり始めました。
青空市場は少しずつ規模が縮小され、来られる日数が減ってきました。おじさんたちも歳を重ね、徳島からの移動も大変になってきたのかもしれません。定期的な青空市場は終わりを迎え、年に数回のお得意さんまわりになったようです。
その時に「干し柿にする柿いらんか?」と持ってきてくれたのが大和柿だったのです。

その干し柿がとてもおいしくできたので、毎年おじさんが届けてくれる大和柿でつくる干し柿が年中行事になりました。
一年に一度、お互いの近況報告をかねたお付き合いが続いていたようです。

7年前の11月、いつものように実家に電話をくれたおじさんが父から母の訃報を聞いて、たくさんの果物と大和柿を積んでお線香をあげに来てくださり、そこからは父との付き合いが始まりました。
毎年、大和柿が出るころになると電話をかけてきてくれます。数年前からはこちらまで来るのが大変になったから、と配送してくれるようになりました。父とおじさんはその電話でお互いの近況報告をしていました。

そして今年、いつものようにそろそろ干し柿の準備をしないとと父と話している頃、電話がありました。「目が悪くなり、車の運転ができなくなったから店を閉めることにした。来年から柿は別の八百屋に引き継いでおくから」とのことだったそうです。
思えば、うちの両親と同世代だったでしょう。私の中ではシャツを着ていつも腹巻とアプロンをまいていたがっちりした活気のあるおじさんたちのままで止まっているのですが…

遠くの親戚のようなお付き合いだったと思うのです。ここ何年かは柿でつながっていた間柄。父とおじさんが年1度電話で近況を話し、それを私が聞く。それだけだったのですが、だからこそいつまでもおじさんは元気だとばかり思っていました。
時がたったのです。

出来上がった干し柿をみて、いろんなことを思い出し、すこし寂しく思った年末です。






 








 



by chez-maman | 2018-12-27 08:46 | 暮らしまわり
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