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カテゴリ:暮らしまわり( 385 )

弥生のころ

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ふと一息つくと3月もあと1/3を残すのみ。
卒業や修了式の季節になりました。

肌寒く感じる日もありますが、日差しは春のものです。
あわただしく過ぎてきましたが、気持ちは少しホッとしています。

新しい年度。気持ち新たにいろいろ企画していきたいと考えています。





 

by chez-maman | 2019-03-21 06:19 | 暮らしまわり

オーボンビュータン

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おみやげオーボンビュータンのオレンジのケーキ。
やっぱり、当然、納得の美味しさ。




by chez-maman | 2019-03-20 18:38 | 暮らしまわり

ラナンキュラスの思い出

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幾重にも重なった繊細な花びら、ころんと丸いつぼみ、それが少しずつ開いていくさまが何とも言えずかわいいラナンキュラス。
寒い冬にこの花を見ると思い浮かぶ景色があります。

パリ19区
私はまだ20代中ごろで、お正月休みを利用していとこのMちゃんが暮らすパリに訪ねていきました。彼女は音楽留学でパリにいたのですが、異国での過酷な競争にいささか疲弊していました。叔母から「遊びに行きがてら様子をみてきてよ」と言われていたのです。

飛行機の到着が遅く、パリ市内もすっかり冬の夜でした。

迎えに来てくれた彼女はぐっと大人っぽくなり、パリでの暮らしが板についているようでした。彼女はメトロの中で「アパルトマンはあまりいい地域ではないから、夜はできるだけ出歩かないほうがいいし、一人歩く時も早足でさっさと歩いてね。」と私に忠告しました。

駅についた時はかなり遅い時間になっていて、外に出るとひっそりと静まり返った暗い世界が広がっていました。その中を早足で歩いて建物と建物の隙間を縫ってたどり着いたのは大きな家の裏庭のようなところに建った小さな一軒家でした。そこが彼女の住む部屋で、ドアを開けると広めのリビングとその真ん中に螺旋階段があり、小さな2階ロフトにつながっていました。古めかしい木窓がついたとてもかわいいお家でした。

リビングの正面に置かれた小さなテーブルに、赤紫のグラデーションが美しい花束がいけられていました。私にとっては初めての花で、聞くと「ラナンキュラス。有香が来るから買ってきたよ」と。

少し暗い部屋の白い壁を背に置かれた花束が、冬のパリの暗く冷たい景色とともに私に焼き付きました。

その家はパリの北東部に位置し、ガイドブックで紹介されるような華やかなパリとは違い、どちらかというと「近づかないほうがベター」と言われるような地域で、Buttes-chaumont (ビュット‐ショーモン)公園の近くでした。
あたりはそんな地域だったかもしれませんが、パリ市内の喧騒がうそのように静かで、ビュット-ショウモンは緑の丘陵が広がるのびやかな公園で私には特別な場所になりました。

数日の滞在だったと思います。その間、テーブルのラナンキュラスは少しずつ花を開き表情を変えていきました。

幼い頃から私たちは遠く離れて暮らしてきました。Mちゃんは海外生活が長く、母親同士が姉妹だったので、私たちも姉妹のような感覚でした。
一緒にいるのが大好きで、彼女が帰ってしまうと私の中に喪失感が広がるのを幼いうちから感じていました。

帰国の日がきました。
今回は自分がMちゃんをおいて帰るー

寒いパリの、競争社会のなかで、普通よりさらに緊張を強いられる地域で奮闘するMちゃんがひとりになることに、胸が締め付けられるような、後ろめたいような気持ちに苛まれたのを覚えています。
彼女はそんな風には思っていなかったのかもしれませんが…

ラナンキュラスをみると、パリのグレー色の冬空、螺旋階段のある部屋の断片や薄暗く静まった路地、Mちゃんの苦悩、別れの辛さなど、すこし胸が締め付けられるような記憶が蘇ります。

それもフランス、パリ。華やかな顔ばかりではないのです。

そのちょうど一年後、私はふたたびパリに降り立ちました。学生に戻り、Mちゃんとの暮らしを始めることになったのです。
…場所は19区のあの一軒家ではなく。











by chez-maman | 2019-02-19 15:58 | 暮らしまわり

撮影

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mûreさん

Kyonさん
とともに撮影会。
花と料理、暮らしのものたち

Kyonさんの切り取られる目線にひきつけられ、mûreさんのなにげないお花や感覚に感動しきりのひととき。





 





by chez-maman | 2019-02-08 06:30 | 暮らしまわり

黄色

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実家の庭で採れる柚子。
いつもたくさんの実をつけてくれます。
黄柚子ペースト、きんかんゆずジャム、甘夏と一緒に炊いたり、存分に使いこなします。



 

by chez-maman | 2019-01-21 05:36 | 暮らしまわり

やってきた春

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あっという間に咲きました。
きれいな白のヒヤシンス。
家の中には一足先に春がやってきました。





  

by chez-maman | 2019-01-13 06:24 | 暮らしまわり

春を待つ

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いただいたムスカリの球根。
水にさすとすぐにかわいい芽が出てきました。
買い遅れていた白のヒヤシンスの球根も仲間入りし、春を待つ楽しみです。

さこうゆうこさんの球根ポットにて。








by chez-maman | 2019-01-13 06:20 | 暮らしまわり

2019年 あけましておめでとうございます。

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本年もどうぞよろしくお願いいたします。

浅草人形 福女
手のひらにおさまるくらい小さな木彫りのお人形。
このたたずまいと表情になんとも癒されるのです。



 

by chez-maman | 2019-01-01 05:00 | 暮らしまわり

2018年ありがとうございました。

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2018年大晦日

今年もあと一日を残すのみ、新しい年がやってこようとしています。
本年もたくさんの方がシェママンに足を運んでくださったこと、感謝の気持ちでいっぱいでおります。
この場より心よりお礼申し上げます。

2011年、まだ小雪が舞い散るころ、母は病院のベッドで私にたくさんのことを話しました。
「今年はおばあちゃんの家の賃貸契約が切れる年だから、教室を立ち上げる忙しい年になるよ」
母が自分に言い聞かせるように、でもどこか悟ったように言った言葉がチクリと私に刺さりました。

10年以上賃貸に出していた母の両親の家は、母が主となり暮らしまわりの教室スペースとすることを決めていました。
私が料理やお菓子部門を担当して、他には先生をよんで洋裁レッスンや学習塾なんかもやろうと、母は夢見ていました。

そんな話をしていた数日後、東北大震災が起こり、その日を境に母は話をすることができなくなりました。
それから数週間後、母は帰らぬ人となりました。

娘を先に亡くした祖母(母の母)や私の父に「お母さんの夢だったから、あの家を使って教室をやらないと」と促されたその年の夏、まだ私は失意の底におり、母がいないとできない‥と否定的な気持ちばかりが先立っていました。

そんな状態の私の中にきっと母が入り込んでくれたのでしょう。
ちょうど母の死から1年後、母の両親の家が立派な教室スペースに生まれ変わりました。

chez maman(お母さんの家)
人は親からたくさんのことを教わります。
そしてお母さんの家は帰るとホッとする、そんな場所になるように名前をつけました。

シェママンが誕生して6年が過ぎました。
自分自身、まだまだ足りないことだらけです。シェママンとともに皆様からたくさんの学びをいただく毎日を過ごさせていただいております。

初心を忘れず、母の遺志をつぎ、お越しいただく皆さま、私を支えてくださる皆さまに感謝して精進しなければと心に誓う2018年末です。









by chez-maman | 2018-12-31 06:36 | 暮らしまわり

干し柿と青空市場

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今年も干し柿が食べごろを迎えました。
12月の初めに干して、年末年始においしく頂けるようになります。

実家でいつから作り始めたのでしょうー
母がメインで父が手伝い、ときに祖母や私たちも皮をむいて、リカーにつけてひもで結んでつるしていくのです。実家、祖母の部屋、我が家のベランダ、あらゆるところに柿がつるされました。

中が透き通った柔らかい干し柿が出来上がると、そのほとんどは喜んでくださる方への贈り物になりました。

母が亡くなってからは父が干すようになりました。一人で150個ほどを皮をむいて漬けて干す、大変な作業です。我が家にも来てくれて干してくれます。「手伝うよ~」と言いながらバタバタしてる私はほとんどできません。

父はあまり自分では食べず、ご近所や知り合いに配り歩いています。皆さんが喜んでくださり、楽しみにしてくださっていることがうれしいのだと思います。母がそうしていたように。

この干し柿は大和柿という柿を徳島から届けていただいて作っています。

今から30年以上前、近所で青空市場が出ていました。週二回、徳島からご兄弟で営んでおられる八百屋さんがトラック数台でやってきて、大きなテントを張り、たくさんの野菜や食品を並べてくれていました。新鮮な野菜が安くでたくさん買えるので母はいつも野菜はその市で求めていました。私もよく荷物持ちに駆り出され、そのうち自分でも買い物に行くようになりました。

レジはもちろん、値札すらついていないのですが、おじさん達はスラスラ暗算で計算して、段ボールの切れ端にマジックで金額を書いてくれ、お金を渡すとポケットからじゃらじゃらお釣りを出してくれます。そのころはいつもその手際のよさと活気にほれぼれしていました。

母は生まれが徳島だったことから、おじさんたちの徳島なまりが懐かしかったのだと思います。仲良くしていました。

時が経ち近くには大型スーパーができ、流通が変わり始めました。
青空市場は少しずつ規模が縮小され、来られる日数が減ってきました。おじさんたちも歳を重ね、徳島からの移動も大変になってきたのかもしれません。定期的な青空市場は終わりを迎え、年に数回のお得意さんまわりになったようです。
その時に「干し柿にする柿いらんか?」と持ってきてくれたのが大和柿だったのです。

その干し柿がとてもおいしくできたので、毎年おじさんが届けてくれる大和柿でつくる干し柿が年中行事になりました。
一年に一度、お互いの近況報告をかねたお付き合いが続いていたようです。

7年前の11月、いつものように実家に電話をくれたおじさんが父から母の訃報を聞いて、たくさんの果物と大和柿を積んでお線香をあげに来てくださり、そこからは父との付き合いが始まりました。
毎年、大和柿が出るころになると電話をかけてきてくれます。数年前からはこちらまで来るのが大変になったから、と配送してくれるようになりました。父とおじさんはその電話でお互いの近況報告をしていました。

そして今年、いつものようにそろそろ干し柿の準備をしないとと父と話している頃、電話がありました。「目が悪くなり、車の運転ができなくなったから店を閉めることにした。来年から柿は別の八百屋に引き継いでおくから」とのことだったそうです。
思えば、うちの両親と同世代だったでしょう。私の中ではシャツを着ていつも腹巻とアプロンをまいていたがっちりした活気のあるおじさんたちのままで止まっているのですが…

遠くの親戚のようなお付き合いだったと思うのです。ここ何年かは柿でつながっていた間柄。父とおじさんが年1度電話で近況を話し、それを私が聞く。それだけだったのですが、だからこそいつまでもおじさんは元気だとばかり思っていました。
時がたったのです。

出来上がった干し柿をみて、いろんなことを思い出し、すこし寂しく思った年末です。






 








 



by chez-maman | 2018-12-27 08:46 | 暮らしまわり